フィレオフィッシュ

by 瀬川辰馬

祖母の訃報を聞いてまず頭を過ったのが、フィレオフィッシュのことだった。

小学校に入学する前だから、僕が4歳とか、5歳の頃だったと思う。

当時、祖母は祖父と保土ヶ谷のマンションにふたりで暮らしていて、
僕ら一家が住んでいた伊勢佐木町から近かったのもあり、
母になにか用事がある週末には、祖母の家に預けられることが多かった。

陽当りのいい部屋で、ラタンのフレームに花柄の生地が貼られたソファーが居心地がよかった。
背もたれから、伊勢佐木町の家では嗅いだことのない種類の匂いがした。

お昼時になると、祖母と僕は駅前のマクドナルドまでよく一緒に歩いた。
きっとハッピーセット(当時の商品名はまだ「お子さまセット」だったように思う)に付いてくる、いま思えば半日で飽きてしまいそうなプラスチックのおもちゃが欲しくて、僕が連れてけとねだったのだと思う。

カウンターで注文を済ませて、二階の窓側の席で食べることが多かった。

窓からすぐそこに線路が見えた。線路の脇には桜の木が植わっていた。

記憶のなかの祖母は、その窓際のテーブルの向かい側で、静かな笑顔を湛えながら、いつもフィレオフィッシュを小さく齧っている。

料理がとびきり上手で、肉よりも、どちらかと言えば野菜や魚の方が好きなひとだった。

おまけのおもちゃを今か今かと待つ孫の手を繋ぎとめながら、メニューを眺めては。
きっといつも、消去法でフィレオフィッシュという結論に辿り着いたのだろうと思う。

なにが食べたいとか、どこに行きたいとか、誰と会いたいとか。
自分の願いを強く主張するようなタイプのひとではなかった。

もし健康な身体で、時間もたっぷりあって、なにをしてもいいんだよと言われたら、祖母はなにをしたいと答えたかな、と考える。
―たぶん、少し困ったような、照れ笑いを浮かべるだけのような気がするけど。

その生涯の殆どを、自分の愛するひとの願いを静かに肯定することに費やした、棺に眠る祖母の顔を眺めて、美しいなと感じた。

そして、そういう人間だけが知る、いのちの深さというものがあるのだろうな、とも。

1931年の日本に生まれるということは、きっと相当にタフなことで、ひとには言えないような苦労も沢山してきたのだろうと思う。只々、安らかに眠って欲しいと思う。

おばあちゃん、本当におつかれさま。